スポンサーサイト 

--/--/--
--. --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

CM: --
TB: --

page top

2009年8月16日 その2 

2009/08/17
Mon. 01:56

もうとっくに16日は終わってしまっているのですけれど。
寝る前に、どうしても語りたいモードになってしまったので……。


<「シリアス?冗談じゃない!俺は娯楽を求めて生きてるんだ!」という方ための伏せ字。>

私の絵には、足りないところが沢山ある。
人体とかパースとか。
描くものが限られてしまうだとか。

私は、そんな自分の絵に”足らないもの”ばかり見てしまう。
だから、”足らないもの”に充ちた自分の絵など、好きになれない。
描く事が楽しかったから描く。根本は、それだけだ。


半年くらい前だったろうか……。


どこかの本だかで見かけたのか、詳細はよく覚えていないのだけれど。
どこぞの絵師さんが、

「人の絵の、欠点ばかり見つけるというのは、あまり、好きじゃない。
 その人の絵の、個性は、必ずある。だから、そこに絵がある。
 人の個性というは、千差万別ゆえ、個人としての自分は持ち得ぬもの。
 だから、それは全て、”自分には足りない、素敵なもの”でもある。
 いかに、その”良いところを見つけて、自分の糧にするか”――それを、大切にしたい。」

言葉はだいぶいじっているけれど、概ねこのような事を述べているものがあった。
何故だか、ズシンと来た。

私もそうありたいと、素直に思った。
でも、自分の絵に対しては、そうなれない自分がいたから、余計に、重さがあった。



「どうして、これくらいの事が”出来ない”の。」
自分は、よく思う。

”出来ない”を克服する事はとても難しくて、その中でまた、自分の絵を嫌いになってゆく。
もはやそこまで来ると、”思う通りに絵を描けない自分が嫌い”と言えるのかもしれない。


そんな中に閉じこめられた私の思考に、チカチカと合図を送るのが、先に書いた言葉。




私の絵を見て、「好きだ」と言ってくれる人がいる。
お世辞かもしれない、心からの声じゃないのかもしれない。
それでも、本当は”好き”になりたいという自分の声を代弁してくれているみたいで、嬉しくなる。
ばかみたいに、嬉しくなる。

絵じゃなくても。

いや、絵以上に、私はキャラクター達が大好きで、
本当に、皆が自分の子供みたいで。

彼らが愛して貰えると、救われる気持ちになる。
だって、彼らはきっと、少なくとも、私の”個性”の一片なのだろうから。

私が悶々と考え込んでいる時に、さも当たり前のように出てきてくれる、優しい子たちは、
「少しは好きになってやれよ。」とか言っている気がする。
はたまた、
「お前もう面倒くさいから、そのままでいいんじゃねー。」
とか。



どっちが正しいのか、私には決めかねる。
”理想”は、あるけれど、それが正しいのか、どうか。
でも、そんなものはいらない。


”このまま”でいいよ。
きっと、それが”私の絵”なのだろう。

自分で好きだと言える訳ではない。
好きだと言ってくれる人たちと、キャラクター達のための、絵でありたい。



それに、”嫌い”があるから、
この原動力にも、なっているのだからね。

あながち、どっちも間違っちゃいないんだと、思おう。


</おしまい。眠いよー!>
スポンサーサイト

[edit]

CM: --
TB: --

page top

2017-07

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。