スポンサーサイト 

--/--/--
--. --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

CM: --
TB: --

page top

2011年11月26日 

2011/10/26
Wed. 23:37

清水の名が「一学義久(いちがくよしひさ)」という事は分かっていましたが、
上野介様の名前の読み方が様々議論されていたところで、
『易水連袂録』をはじめ、吉良様の花押(華蔵路蔵のもの)の中に「久」の字があるのを確認し、
「あーやっぱり上野介様の名前の『義央』も、”よしひさ”って読むんだ」
と、スッと納得。


こうなる訳ですね!!!!!!!





しかしそうなると、誰も触れないのが気になるんですが。
清水と名前だだ被りじゃないですか。
花押の「久」なんて、もうまんまじゃないですか。もはや同名の域ですよ。


小林平八郎さんの「央通」の「央」の字には結構拘る方(※)いらっしゃるんですが、
(※「上野介様のお気に入りだったから、自分と同じ「央」の字を与えたに違いない!」って言う人やたら多い)

や、まぁたしかにそれはそうかもですが、
じゃあ清水は……?^q^
だだかぶりですぜ……?


ただ、そう思うと、
上野介様は清水を目にいれても痛くないくらい可愛がっていたのだろうと。

それって即ち、
亡くなったお子・三郎様の事を忘れられなくて、
どれだけ清水に息子の影を重ねていたのか、という事にもなるでしょう?
(因みにその三郎様が”生きていれば”、清水と同い年かつ、顔立ちがそっくりだったようです。
 容姿については確認しようがないので、多少誇張もあるでしょうが、年齢はガチです。)




だって普通考えられないぞ……。
幕府にも通じる高家筆頭の棟梁様が、自分の領地からつれてきた百姓身分の少年に、自分とまるで同じ名前を与えるなんざ……。




何だか切ない思いになるのですよ。
スポンサーサイト

[edit]

CM: --
TB: --

page top

2017-11

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。